■ みちのく に「六文銭」?
                     真田幸村の次男・大八と四人の姉たちは、仙台藩に逃げ白石城で育った 

  
   1.白石城    …この頁
   2.梅花藻
   3.旅館源兵衛と蔵王山麓仙台真田武将隊-縁-
  4.仙台真田家の領地・矢附
  5.片倉家ご廟所、田村家の墓
  6.当信寺と傑山寺
 大坂夏の陣の終盤、「徳川方」の伊達政宗・仙台藩の重鎮である白石城の片倉重綱(二代目・片倉小十郎)の元に
「豊臣方」の真田幸村の密使が訪れ、5人の子供たちを託します。
 真田家と片倉家は信州伊奈の出身なので例え敵味方になったとしても万が一の場合は助け合おうとの風習が
有ったのかもしれません。

 又、伊達政宗にとっては「天下取り」の最後のチャンスで、徳川方に付いてはいたものの
「万一、家康が敗れれば・・・」
そんな思いがあって密約が成立したのかも知れないとのこと。
 
 理由はともあれ、そこには難題が山積していました。
 
特に・・・
徳川にとって、宿敵真田幸村の男子が生き残っているのを見過ごすことは出来ません。
万が一、発覚すれば伊達仙台藩の取り潰しの危険が有ったのですが、政宗・重綱は幸村の遺志を汲み取り
次男の「大八」をかくまい続け、
 
偽情報「大八は7歳で死んだ」、とか
真田家縁戚の家系図を書き換え、別系統で「大八」を別名で登場させたりと攪乱作戦を駆使したようです。

 最終的に、「片倉守信」として現在の宮城県蔵王町の「矢附・曲竹地区」に三百石の領地を与えられ、
仙台真田の血脈が仙台藩中に根付くことになります。
  先ずは、片倉小十郎の治める白石城を紹介します。

徳川時代、「一国一城制度」が発令されましたが片倉小十郎は「大名格」を与えられ城持を許されました。

 白石は、元々伊達家で治めていたものの豊臣秀吉により没収され蒲生家のものとなり、この頃に天守が建てられました。
その後、紆余曲折を経て伊達政宗が白石城を取り戻し、伊達家重鎮の片倉小十郎の居城となります。

 城の天守は、敵方に向けて建てられているとのこと。
従って、北の方向の仙台に向けた北側に建てられています。
そこで
本来の進路を曲げて、石垣に沿った東側を城への進行路としたようです。
  一の門   二の門
  二の門と天守閣  白石城の配置図
仙台伊達家が参勤交代とかで訪れた場合使用するのが
天守近くの二列の建物群になります。
  天守   伊達藩主が雨に濡れぬ様屋根が掛けられています。
 1階に絵馬と甲冑が展示されています。  
 左側は片倉家の甲冑   右側は、真田家の甲冑
当然、六文銭が輝いています。
  天守の階段は、上に行くほど勾配がきつくなります。  
  3階から見た本丸  同じく、「二の丸」。
阿梅姫達はここで養育された。